紙教堂 Paper Dome

住所:
南投県埔里鎮桃米里桃米巷52-12号

電話:049-2422-003

開館:9:00~20:00(土・日曜~21:00)

休日:無休  料金:100元

URL:http://paperdome.homeland.org.tw/

アクセス:
埔里から豊榮客運バス20分、桃米下車またはタクシー

特徴:
 1995年1月17日に発生した阪神淡路大地震では神戸を中心に甚大は被害を出しました。神戸市にあった鷹取教会も焼け落ちてしまいました。被災地ではたくさんのボランティアが救援・支援活動に参加しましたた。救援に参加した建築家坂茂さんは教会に地域の住民が集まれる場所として、紙で集会所を作ることを提案ました。寄付金を募り、ボランティアの手を借りて、地震から8か月後の9月17日に、Papar Domeを完成させました。
 Paper Domeは58本の紙管とガラス繊維の波板を組み合わせたもので、80人を収容することができる本格的な建物でした。集会所と教会を兼ねたPaper Domeは地域住民の交流の場として、また心の拠り所として大きな役割を果たしました。

 そして4年後、1999年9月21日、M7.3の大地震が台湾中部を襲いました。921大地震(921集集大地震、中部大地震とも呼ばれる)です。震源地に近い埔里(プーリー)では6200戸余りの住宅が全壊し、205名の住民が犠牲となりました。地震から6日目には日本からのボランティアが到着、活動を始めましたが、ここで阪神淡路大震災の経験が大きく役立ち、住民の間の交流も生まれました。

 921大地震から6年後の2005年1月、阪神淡路大震災10周年に神戸を訪れた埔里の住民組織「新故郷基金会」の会長が、神戸のPaper Domeを台湾に移築し、地震からの復興を歩みつつある日台の2つの地域の交流の拠点にできないかと提案しました。この提案を受けて、Paper Domeは神戸での役割を終えて解体され、2005年6月、海を渡って台湾に向かいました。埔里では「新故郷基金会」を中心に「千人立柱」(千人で柱を立てよう)運動を展開、地域の多くの団体やボランティアが参加し、3年後の2008年9月21日、Paper Domeは、「紙教堂(ジージャオタン)」と名を変えて、台湾で第2の人生を始めました。紙教堂は隣接する「桃米生態村」と合わせて「新故郷見学園區」として整備され、地域の復興に一役買っている。

管理人のコメント:
  紙教堂(Paper dome)のある桃米(タオミー)は、埔里郊外にあり、有名な観光地日月潭に向かう道沿いの小さな村だった。予備知識はまったくなく、桃米で開かれる茶会イベントに向かう途中、台湾のお茶友達に連れていかれたのである。「921大地震からの復興が一段落し、紀念に日本から送られた紙でできた教会だ」と聞かされた。おもしろいデザインの教会だとは思ったが、阪神淡路大震災と深い関係があったことは知らなかった。上に記したいきさつは、帰国してから調べてわかったことである。(訪問日:2010年㋁)
    
    
紙教堂は、「新故郷見学園區」という公園の一角にある。左の奥に白く見える建物が紙教堂。教堂とは教会のこと

紙経堂の外観。外側のスクリーンは閉じることができる。

周囲の風景とも違和感のない美しいデザイン。埔里は水がよい場所で知られる。池と組み合わせているのもいかもに埔里らしい

夜になってスクリーンを閉じると、内部からの光が透けて美しいのだか、写真でしか見ていないのが残念。

ペーパードームのメインの構造は、58本の紙管の柱で支えられている

天上はテント張りのドーム。光を通して、内部は明るい。ベンチも柱と同じサイズの紙管

隣接する施設は、鉄骨構造。紙と鉄、みたいな言い方をしていた

紙経堂の周囲にはレストランや売店もあり、周囲の自然を楽しみながらゆっくり過ごせる

展示室に置かれていた直径1mぐらいもある大きな半球。中をのぞくと、921大地震の震源地集集鎮を中心とした台湾中部の絵地図が描かれていた

駐車場近くの売店。観光地化しているが、のどかな雰囲気。甘蔗はサトウキビ。絞りたての甘蔗汁(サトウキビジュース)が一杯60円ぐらい。橄欖はカンラン。オリーブのことも橄欖というが、もともとは違う植物なのが、混用されてきたらしい。この橄欖はオリーブの実より大粒で、本来の橄欖なのかもしれない



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